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JR貨物
越中島線
小名木川駅廃止で残るはレール輸送のみ
〈'99年調査〉
JR貨物/越中島線
【越中島貨物駅へ向かうレール輸送列車】


越中島線/晴海線(廃線)の地図  越中島線の歴史は昭和4年に新小岩−小名木川間が建設されたところから始まる。水上交通盛んだった当時、小名木川駅は隣接する運河・小名木川の水運も利用する「水陸両用駅」として華々しくデビュー、戦後越中島まで延伸、さらに東京都により晴海埠頭まで延長された。しかし貨物のにぎわいも長くはなく、徐々に扱い高は減少、1989年には東京都晴海線が、2000年には小名木川駅が廃止された。

 【地図解説】
■黒線−運行線  ■赤線−廃線跡
■ピンク−痕跡のほとんどない廃線



京葉道路と越中島線 【京葉道路を通過する列車】

 京葉道路亀戸付近を走っていると架線のない物静かな高架線が目にとまる。通勤電車の走ることのない貨物専用線・越中島線である。この先に広大な貨物ヤード、小名木川駅があったが列車の往来は少なく数時間に1本程度だった。ここ江東区はゼロメートル地帯、即ち海面より低い土地が多く、団地などは1階部分を駐車場にすることも少なくない。橋から街をながめると川より商店街のほうが低かったりする。かつて日本橋がそうであったように、この江東区も道路のように張り巡らされた川(運河)により多くの物資が運ばれた。しかしこれらも近年埋め立てが進み、廃線ならぬ廃川が増えつつある。





小名木川貨物駅 【小名木川貨物駅】

 総武線亀戸より南へ2キロ、住宅地のなかに広大な貨物ターミナルが出現する。写真を見るとコンテナ車・ホッパ車・タンク車・車運車…ずいぶん手広く扱っているように見えたが、取扱い量減少により00年12月ついに廃止となった。JRが廃止を決める以前から区議会議員たちが再開発構想について熱弁をふるっていたが、本当に廃止となった。汐留、飯田町、小名木川…廃止はまだまだ続くのだろうか…。





小名木川貨物駅 【小名木川駅近景】

 トラックがコンテナなどを受け渡していたようだ。リニア地下鉄・大江戸線の車両まで運ばれてきた。





永代通りを渡る機関車 【永代通り】

 踏切部分のみ中央分離帯があり、そこにも警報機が立てられている。道路下には地下鉄東西線が走っており、手前側に南砂町駅がある。いつだかこの貨物線を旅客化する構想があると聞いたが、結局廃案になってしまったようだ。





レールを運ぶ貨物列車 【新砂のカーブ】

 新砂に入りカーブを始める。一見カラ荷のように見えてもしっかりレールがのっている。レールは長いため複数の貨車にまたがってのせられ、特殊な装置で固定される。





新砂踏切 【新砂踏切】

 最後の踏切を渡り越中島貨物駅へ。





越中島貨物駅 【越中島貨物駅】

 越中島貨物駅は小名木川駅より新しく、昭和33年に完成、ここには東京レールセンターがあり、短いレールを溶接でつなぎ、長くして関東全域に供給している。広大な貨物駅はまるで鉄工所のようである。巨大な門型クレーンがレールを持ち上げ、スイッチャー達が貨車を引く。小名木川駅のように廃止になることは考えにくいが、しかしそれでも運行本数は少なく、1日2〜3往復程度のようだ。右手には京葉線、左手には東西線車庫がある。



 越中島の駅名騒動 【駅名騒動】

 現在越中島という駅はJR京葉線にも存在する。かつて京葉線が着工されたころ、この駅の仮称は「西越中島駅」であった。貨物駅との混同をさけるためであろう。しかしこれに住民が反発、委員会まで設置して「越中島駅」に変えさせたのである。京葉線に押し出される形で貨物のほうは「越中島貨物駅」と改名された。ちなみに実際の所在地は京葉線は越中島、貨物駅は塩浜である。





越中島線終点 【越中島線終点】

 車止めが現れ越中島線はここで終了。しかしその車止めの後ろ側を見るてみるとさらに廃線跡が続いていることに気づく。





東京都港湾局晴海線 【東京都港湾局晴海線】

 港湾局といえば船や港が思い起こされるが、貨物列車まで営業していたようだ。それがここより始まる晴海線である。右のマンションはかつて化学工場があったところでここにも引込み線が延びていた。奥に見えるのは首都高速深川線。



廃線となった晴海線 【帯状の空地と撤去された橋】

 高速をくぐると線路は途絶え、帯状の空地が続く。当時は橋の手前まで複線だったらしい。それにしてもこの場所に89年まで営業線があったということは信じがたいものだ。



廃線となった晴海線の遺構 【踏切跡】

 落ち着いた下町にひっそり残る遺構。敷地内にはお約束の家庭菜園が…。遠方に豊洲の高層ビルが見えてきた。





廃線となった晴海線の鉄橋 【工場につづく鉄橋】

 空地は上り坂となり鉄橋にて運河を渡る。運河の向こうは石川島播磨の工場になっており晴海線は工場を貫くかたちで進んでゆく。さらに場内には分岐点まである。





晴海線の支線 豊洲線 【豊洲線】

 分岐の一方は豊洲埠頭に続く豊洲線で、かろうじてさび付いた信号機が残っている。写真後方の晴海通りには全く名残りがないが、通りを越えるとこんどは帯状の駐車場が現れ、レール用防潮扉まである。豊洲埠頭では石炭や鉄鋼製品などを積み込んでいたらしい。





廃線となった晴海線の遺構 【工場内をぬけるレール】

 再び晴海線に戻る。右も左も工場の敷地となっており観察できる部分は限られる。レールはかなり草むしてきており、やはり10年ちょっと前まで運行があったとは信じられない。





晴海橋 【晴海橋】

 晴海通りを渡ると一気に視界が開け海が見えてくる。これはもはや晴海線の象徴となった晴海橋である。赤さびがひどいが運行時もこんな感じだったようで、いまだに撤去もされずに東京の歴史を伝えている。





案内図に残る晴海線 【案内図に残る晴海線】
 廃線になってもまだ道路案内には載っている。右下が北で、越中島駅が左下、晴海橋が右上。豊洲線はすでになくなっている。





晴海埠頭の廃線跡 【晴海埠頭】

 やがて晴海埠頭に到着。かつて有蓋車でにぎわったレールも路上の模様になってしまった。





晴海線終点 【晴海線終点】

 列車に代わり多くのトラックが積込みを行なっている。レールはかなり奥まで続いているが、もはやアスファルトの中に飲み込まれつつあるようだ。



【あとがき】
 当初神奈川や千葉の臨海貨物に夢中で越中島線の存在に気づいていなかった。他人のホームページで越中島線がレア線であることを知り駆けつけてみた。しばらく列車を待ってみたものの、なるほどいつになっても列車が来ない。聞いた時刻表も古くて正しくなかった。何回か通ううち1時と3時に来ることがわかりその後効率があがった。小名木川駅のうわさは知っていたものの、いざ廃止と聞くと胸にジンとくるものがある。跡地には住宅とショッピングセンターができると聞いた。ぜひ地域の活性化に貢献してもらいたいものである。

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