向ヶ丘遊園モノレール線 運休、廃止、そして閉園へ… 〈'99年4月調査〉 【夕日をあびて走る向ヶ丘遊園モノレール】 |
向ヶ丘遊園モノレール線は向ヶ丘遊園の来場客輸送を目的として1966年に建設された。同遊園地およびモノレールは小田急電鉄が経営、小田急小田原線「向ヶ丘遊園駅」と遊園地間1.1キロを結ぶ短いながらも存在感のある路線であった。2000年2月、台車枠に亀裂が発見され、修繕のためしばらく運休していたが修理に3億円以上必要なことがわかり、赤字であった同線はついに2000年12月をもって廃止されることとなった。運休より廃止に移行されたため、さよなら運転もなく実にさみしいお別れとなってしまった※。これはもはや見ることのできない向ヶ丘遊園モノレールの雄姿である。 |
※さよなら見学会は行われたようだ |
近郊の地図(川崎市多摩区) |
初めてここに来たときは廃止になった大船のドリームランド線と勘違いしていた。しばらく哀愁の想いで眺めていると、ごう音とともにモノレールが走行してくるではないか!復活のための試験走行か?と興奮したものだ。しかしよく調べると単なる現役モノレールであった…。(^^ゞ …しかし、その後この線まで廃止になってしまおうとは…。 |
【モノレール「向ヶ丘遊園駅」】 遊園地らしいかわいい駅舎はロータリーの反対側にあった。これは'99年4月の写真。 2000年秋に新しいレンズで撮影してやろうと意気込んで再訪してみた。すると、何と駅の看板は白く塗りつぶされ駅はもぬけのカラ。「えっ、廃止?」よく見ると2000年2月より12月まで運休する旨の張紙がしてあった。まあまた撮りにこよう、そう安心したものの鉄道がここまで長い運休を行なうということについての驚きは大きかった。しかし実際この予定はかなわず、2度と乗客がこの階段を登ることはなかったのである。 |
【向ヶ丘遊園駅乗車ホーム】 ホームを支える鉄柱はプレハブのように簡略で即日撤去できそうな気さえする。 大船のドリームランド線は乗り場だけが跡形もなくきれいになくなり、レールだけが残っているが、なるほどこれを見てうなずける思いがした。 |
【繁華街上空をぬける】 大通りのわずかな分離帯を利用して路線は作られていた。電車であったらこうはいかないだろう。周囲に圧迫感を与えないのがモノレールのいいところである。渋滞をよそに上空を悠然と通り抜けていった。 |
【ビルの谷間を通過】 中央の運転室のみが突出したユニークな風貌はうつぼを思わせる。ビルの合間をぬって走るモノレールの姿はまさに未来の乗り物のようである。21世紀まで残せなかったことが実に悔やまれる。後方に乗車ホームが見える。 |
【川崎街道と並走】 繁華街をぬけ曲線を描いたあと二ケ嶺用水ぞいに走り、すぐに川崎街道に出る。レールはかなり赤茶けており列車がこなければ廃線に見えないこともなかった。 |
【住宅地を進む】 ごう音とともに小道の上空を巨大なマシンが通り過ぎる。それはまるで飛行機の低空飛行を見ているようだ。道行く人は思わず仰ぎ見てしまう。 |
【川崎街道を横断】 本村橋交差点。簡単な橋脚がならぶモノレール線であるがここだけは首都高並の大がかりな橋脚となっている。遊園地までもう少しである。 |
【二ケ嶺用水ぞいを力走】 路線のほとんどはこの二ケ嶺用水の堤防の上に作られている。それにしても廃線後の土地はどうなるのだろう。(もっとも大したスペースでもないが…) 代替バスすら設けようとしなかった向ヶ丘遊園、今思えばこの時すでに厳しい計画が存在していたのであろう。 |
【終点・向ヶ丘遊園正門駅】 数分で格納庫のような駅にモノレールは到着する。運行間隔は30分おき程度だったような気がする。さて自分も乗ってみようかと切符を買おうとしたところ係員に呼び止められた。もう今日はおしまいなのだそうだ。6時くらいだったと思う。遊園地が終ればモノレールも終わり。それにしても閉園時間の割には乗客はまばら、うーむ、赤字というのもうなずける気が…。 |
【遊園地乗車ホーム】 格納庫のような駅舎に停車中のモノレールはまるで宇宙船のようであった。側面には小田急をあらわすOERの文字がある。車体色はロマンスカーを模したものであろうか。 |
【廃止を告げる立て看板】 この時点で遊園地の閉鎖も決まっていたのだろう。 |
【あとがき】 |
前述したが今回の廃線は本当に寝耳に水であった。このときの撮影は結構いいかげんだったので、久しぶりに撮りなおそうと赴いてみた、が、すでに遅かったのだ。結局乗車もできず廃線になった。その後遊園地自体も閉鎖となってしまったことはご承知のとおりである。実に残念である。と同時にとりあえず撮影しておいたことは大いなる幸運でもあった。 |
【本日の一句】 いつまでも あると思うな その路線 |