長野電鉄 木島線 大正の老鉄ここに眠る 〈'01年10月調査〉 【柳沢駅】 |
志賀・斑尾・木島平… スキー場ひしめく長野県。ここで1本の鉄道が過去のものとなった。長野電鉄木島線である。かつて木島線は野沢温泉やスキー場への行楽客でにぎわい、年間200万人もの乗客を運んでいた。しかし近年JR飯山線との競合やマイカーの増加などにより乗客は減少、往時の1/5程度まで乗客数は落ち込み赤字化、ついに'02年3月末廃止となった。これは今はなき廃止5ヶ月前の木島線の映像である。 長野の旅客線が廃止になると聞いて驚いた。貨物線ならいざ知らず関東では旅客線廃止はほとんどありえない。これは大変なことになったと、3連休に長野新幹線に飛び乗った。 …鹿島で躊躇していた人間がいつの間にやらこのありさまである。しかもただの3連休…。(^-^;)ゞ |
【長野電鉄路線図】 |
長電の全駅名。右手の屋代と長野はJR線に接続、今回左下の信州中野〜木島間が廃止となった。 |
【長野電鉄長野駅】 新幹線を下車、さて長電はと駅ロータリーに目をやると地下への入口。なんと地下鉄スタイルの駅。ここまできて地下駅に出会うとは思わなかった。駅乗り場はやや歴史を感じさせるもので、決してにわか仕込みの新駅舎ではない。そしてどこかで見たような銀車両、…日比谷線旧車両ではないか!こんなところで余生を送っていたとは…。 |
【車内路線図】 車内に乗り込み路線図を確認。かつてここには六本木・日比谷・銀座などの文字が並んでいたはず。 |
【市役所前駅】 小田急のようにすぐ地上に出るのかと思いきや、地下駅はさらに3つも続く。しかも駅間がかなり短く、本当に都心の地下鉄のようである。ホームは細めの柱といい、駅名票といい、汚れ具合といい、改装前の丸の内線そっくりである。もしや同世代の駅かと調べたが地下化は昭和56年、都営新宿線より新しいことになる。ちょっと信じがたい。この市役所前駅、長野駅からわずか400mしかなく乗降客はまばら。蛍光灯は部分的に消され薄暗い。改札口は2箇所あるが長野駅側は朝しか営業していないなど、在りし日の京成博物館動物園駅を思い出させるものがある。列車はワンマン運転なので車掌室の照明は消えている。 |
【中野北駅】 途中駅は省略、信州中野より分岐して木島線に入る。1つ目の駅は木島線唯一昭和生まれの中野北駅。廃線予定とあってやはり無人駅であった。列車が到着、乗降客もなく扉の開閉のみで去っていった。色あせた木造駅舎に筆書きの駅名票、周囲には店ひとつなく小鳥のさえずりしか聞こえてこない。 |
【四ヶ郷駅】 古い民家風の四ヶ郷駅。96年までは駅員がいたらしく切符売り場が残っている。近くに学校があり下校時刻には生徒たちがつめかける。もしかするとここが一番にぎやかな駅ではなかろうか。 |
【大14?】 四ヶ郷駅の架線柱に妙な表示を発見。河東線とは木島線の正式名称であるが、大14.12とは何であろう。まさか大正14年12月の架線柱なのか…? 後に調べるとなんと木島線は大正14年7月開通、翌年1月電化されたことが判明、正しかった… しかしそこまで古くは見えないが… |
【夜間瀬川橋梁】 夜間瀬川を渡り赤岩へ。 |
【赤岩駅】 コスモスの咲く赤岩駅に到着。ホームには誰もいなかった。 |
【赤岩駅票】 実にのどかな場所である。 |
【柳沢駅】 単線である木島線で唯一列車のすれ違いができる駅、柳沢。中学生が1人降りてきた。駅舎は2階建てで、人が住めそうな気さえするものの無人駅であった。写真手前にホームを通らないレールが見える。この駅ではかつて農産品の輸送まで行っていた時代があり、その時のもののようだ。しかし周囲にはトラックが往来するような道路などなく大規模なものがあったとは考えにくい。 |
【さよならイベント】 待合室には木島線記念グッズ販売のポスターが貼ってある。 |
【田上駅】 バス停に見えなくもないこんな駅にも昔は駅員がいたらしい。かつてはもっとにぎやかだったのだろう。しかしこのような駅で駅員はどのように過ごしていたのだろうか…。 |
【信濃安田駅】 しばらく千曲川ぞいに走り、小さなトンネルをぬけると信濃安田に到着。トンネルがあるためかカメラや三脚をもった者が目立つ。周囲には住宅が多く、ここでは5〜6人の乗降客が見られた。 |
【終点木島駅】 歴史的趣きを感じる木造駅舎木島駅。2番線と3番線はあるものの、なぜか1番線がない。かつてはホームがもう1つあったのだろうか。 |
【木造車庫】 乗り場の奥に車庫がある。鉄道車庫というより納屋に近いこの木造車庫。何の意味があるのかわからなかったが、どうやら雪よけ用の車庫らしい。なるほど、スキー場のある土地ならではの設備かもしれない。 |
【木島駅外観】 旅館のような木造駅舎から銀の煙突が伸びる。雪の季節、待合客たちがダルマストーブを囲む姿が目に浮かぶようだ。 |
【駅待合室】 いかにも駅員がいるべき駅であるが窓口は99年閉鎖され待合室はがらんとしている。ここも冬場はスキーヤー達でにぎわうのだろうか。ポスターの「バカ安きっぷ」という言葉につい笑ってしまう。(^-^;) |
【時刻表】 平日・土日別の表示ではなく到着・発車別の時刻表になっている。昼間は約1時間半ごとの運行となっており、現在次の発車まで1時間ある。 …なるほど、これでは待合客がいなくても無理はない。 |
【湯田中駅】 以上で木島線の調査は終了であるが、一方の長野線・湯田中駅も非常に興味深かったため追記しておく。湯田中といえば温泉街。夜散策したが実に「味がしみた」街で、ノスタルジーの世界へといざなってくれる。木島線よりあとにできた湯田中駅であるが、特急も運行されるなどまさに稼ぎ頭であろう。 |
【スイッチバック入線の駅】 写真は特急車両である。かつての国鉄特急車両を模したようなカラーであるが、かなり形式は古そうだ。この駅はご覧の通りポイントの位置が悪いため、一旦駅を通過後スイッチバックでホームに入線する。奥の分岐線を廃止すれば何とかなりそうな気もするが、やはり難しいか。駅舎は左側にあるが、右側にも閉鎖された駅舎がある。旧駅舎か?それとも臨時改札口なのか?よくわからない。ちなみにこの長野線も有人駅の信州中野まで無人駅が続く。 |
【あとがき】 |
廃線までまだ時間があったため正月にでもなどと考えていたが、ふと積雪のことが頭に浮かび即訪問することにした。長野といえば高校の行事で志賀高原スキー場に引率されただけで、地理的にほとんどわからなかった。ある程度予想していたものの、本当に乗客が少なかった。スキーシーズンや平日通勤時間帯ならもっとにぎわっていたのかもしれない。しかしなぜここに、と思ってしまう駅が多く、電鉄側からすると木島駅への行楽客がすべてだったのではあるまいか。本数縮小、列車のワンマン化、全駅無人化などすべてやり尽くし、これ以上どうすることもできなかったのだろう。やはり並行して走るJR線の存在は大きかったのかもしれない。大正・昭和・平成と3つの時代を駆け抜けた木島線、77年間に及ぶその歴史にエールを送りたいものである。 |