新宿駅東南口
新宿の新しい顔
【新宿東南口 '89年/ '03年】
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公衆便所も2つの階段も全て広場となり大道芸人のパフォーマンスの場となった。共同ビルが完成し西口の高層ビルも見えなくなった。
高校生のとき南口を知らずに笑われたことがある。当時新宿といえば西口と東口しか知らなかったからだ。その後、教習所で話した人から、この辺の街なみが味わい深いと聞きさっそく行ってみた。東南口はもはや区画整理事業が始まっており、その街なみも歯抜けとなっていた。写真には駅へつながるまっすぐな階段が見える。そのとなりにこれとは対照的な不ぞろいの階段が、公衆便所に絡みつくかのような形で昇ってゆく。その先には飲み屋、金券屋、換金所、そして営業中かさえ分からない人形教室がひっそりとならんでおり、今どきめずらしい赤電話までぽつんと置かれていた。有楽町高架下のような地味な場所だったのかもしれない。しかしその背後には長居は許さないと言わんばかりの、ピカピカの駅ビルと駅前完成予想図の看板がにらみをきかせていた。
やがて時は流れ、これら古い店は一掃されて広場ができ、さらにもうひとつのデパートまで完成、ついに新宿東南口は完全に独立、南口とも新南口とも違うスペースとして歩み始めた。現在広場では巨大スクリーンが情報を発信、自己表現をする若者に人だかりまでできている。かつて考えられなかった光景である。
江戸時代は1699年、内藤家の屋敷地に新しい宿場町が誕生し内藤新宿と名付けられた。これが新宿の起源となる。それから300年後の現代、新宿は駅だけでも1日200万人もの訪問者がある街へと成長した。かつて新宿といえば三丁目、つまり東口が中心であった。その後西口に高層ビル街や都庁が完成、東西が対等となった。やがて南口にも高島屋がオープン、新宿駅はいよいよ多面体となり人の流れも大幅に変化した。そんな中で東南口なる妙な名の出入口が登場し、ついに駅を1周したこととなる。東南口は南口・新南口と連携する一方、来客伸び悩む東口への流れを作る起爆剤としても期待されている。
●今はなき東南口の商店街。もはや多くが空地となっており静まり返っていた。背後の駅ビルには、これとは対照的に足早に過ぎる人々が見られた。立て看板には手荷物預かり所とあるがコインロッカーのようなものであろうか。
新宿駅東南口
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