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汐留貨物駅跡
再デビューした汐留
汐留貨物駅跡地今昔比較
【汐留鳥瞰写真 '89年/'03年】
'89年すでに貨物駅のレールは撤去され屋根だけの状態であった。北部では空地を利用してモデルルームの展示が行なわれたり、サーカスが催されたりしていたようだ。線路左側も再開発区域であり、新しいビルが登場している。敷地内にできた鉄道はゆりかもめ線。


つい先日まで読み方すら戸惑いがちであった汐留であるが、現在日本テレビや電通の移転、超高層マンションの林立などによりすっかり最先端の場所となった。かつて江戸以前、ここはその名の通り海辺であったが、幕府により埋立てられ武家屋敷街となった。その後時代は明治に入り、日本初の鉄道がここ汐留から現桜木町駅の間に敷かれ、汐留は鉄道発祥の地となった。これは当時の新橋駅と横浜駅である。大正以降は巨大貨物ターミナルとして活躍、築地市場への引込み線や竹芝桟橋への専用線まで擁していたものの、トラック輸送時代に入り1986年閉鎖された。それからしばらく遊休地であったが1995年より再開発が始まり、2007年の全施設完成に向けて現在工事は進行中である。汐留は西新宿などと違いかなりマンションの比率が高くなっているが、これは都心人口の空洞化に悩む港区の切り札に他ならず、実に5万人もの人口を見込んでいるという。ちなみにここ汐留と西新宿を結ぶ弾丸道路計画なるものを聞いたことがある。大深度地下を利用した乗用車専用道路ということであったがその後どうなったのであろうか…。


汐留貨物駅跡地今昔比較
【汐留近景】
廃墟のような空地にも高層マンションが建ち、無人運行システムゆりかもめが頭上をゆく。左にできたビルはJRA。

汐留貨物駅跡地今昔比較
【廃線跡と横断地下道】
'89年当時、かろうじて竹芝桟橋へ続く貨物線の遺構が残っていた。右は海岸通りおよび首都高。左に見えるのは汐留貨物駅を横断する地下トンネル。つい先日再開発にともない埋め立てられた。この道路が消滅してしまったため定点に立つことができず、やや後ろからの撮影となった。



【横断地下道廃止の通告】

歩道に4本の杭が見えるが、ここを左折すると専用線の踏切と横断地下道のトンネル入口があった。細くて暗いトンネル内にはホームレスの姿も見られた。


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